先生の仕事

【大震災から8年】わたしが宮城県・気仙沼市を訪れたあとに発行した「学級通信」を公開します

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もうすぐ、3月11日です。

東日本大震災から8年が経とうとしています。

私は、2011年秋に被災地である宮城県・気仙沼市に行きました。

気仙沼は、わたしの父の生まれ故郷です。

その当時、わたしは学級担任を持っていたので、気仙沼で見聞きしたことを学級通信に書きました。

今回は、学級通信に載せた文章と写真を紹介します(ブログ用に一部改変しています)。

宮城県・気仙沼市に行ってきました

先週、お休みをもらって宮城県に行っていました。私の父は宮城県の気仙沼(けせんぬま)市出身です。3月の地震で親戚や父の友人が被災したため「元気で暮らしているのか」「自分が生まれ育った街がどうなっているのか」ということを確かめに行ってきました。私も「被災地をこの目で見ておきたい」と思い、父・母と共に宮城へ向かいました。

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宮城県の地図です。図の右上、少し飛び出た地域が気仙沼市です。

父の友人に案内してもらった「被災地の街並み」

気仙沼では、父の友人に街を案内してもらいました出発した場所は坂の上にあるため、ごく普通の街並みでした。

しかし坂を下り、道を曲がると、景色が一変しました。広がるのは、建物がない「原っぱ」。がれきは撤去されていますが、家の基礎がごつごつと残っています建物は2階まで壊れていて、津波の高さを実感しました。

津波で道路のコンクリートまでもが流されているので、道路のあちこちが、でこぼこの砂利道です。信号機が使えないので、警察官が立って交通整理をしていました。

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地震直後、約400人が孤立したという「ヤヨイ食品」を見てきました。会社に押し寄せた船やがれきは片付けられていました。
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震災直後の写真です。写真右奥に、ヤヨイ食品があります。

父の友人は津波を見ていないので、「未だに津波が街をさらっていった実感がない」と言っていました。

地震の直後は停電でテレビを見ることができなかったので、津波の映像を見たのは、地震からしばらくたってからだそうです。テレビを見られるようになった頃には、どこも原発のニュースを放送していたと言っていました。それが理由なのか、コンビニで当たり前のように津波の記録DVDが売られていました

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津波の影響で、ドラッグストアの建物が崩れています。

 海の「残酷さ」と「美しさ」。

私が小学生の頃、一度泳ぎに行ったことのある海も見に行ってきました。

警報が出るくらい風が強かったその日、空は青く、海は広くて、青くて、太陽が当たってきらきらしていました。

その光景を見て私は「ああ、海はきれいだな」と思ってしまいました。

あんなにたくさんの人の人生をめちゃくちゃにして、人も家も、何もかも飲み込んだ海。
なのに、それを「きれい」だと思ってしまった私。

罪悪感で胸がいっぱいになりました。

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私が見てきた海「お伊勢浜」です。ここは日本の「快」水浴場100選に選ばれています。

被災地の人の強さと、自分の無力さを感じた旅だった

気仙沼から東京に向かう新幹線で、福島駅に止まりました。車窓から「福島はくじけません」という横断幕が見えました。

それを見て私は泣きそうになりました。

「くじけません」という言葉は、周囲の人への意思表明なのか?それとも、言葉にすることで「くじけない」と自分に言い聞かせているのか?

福島の人は、我々が想像がつかないくらい辛いことを経験して、今でも苦しんでいる。それでも「くじけない」という言葉を言っている。泣きながらかも、胸をいためながらかもしれないけれど、それでも言えるなんて…なんて人間は強いのだろうと思いました。

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新幹線から見えた福島市。穏やかな街並みが広がっていました。

被災地のために、わたしができること

周囲の人が亡くなったことに対して、自分が助かったことに罪の意識を感じることを、「サバイバーズ・ギルト」と言うそうです。

親戚はみな無事で、数日被災地を訪れただけの私なんかが感じるのは少しおかしいのかもしれません。
被災地の人は、私よりももっと辛い罪悪感や無力さを抱えているでしょう。
けれど、いま(注:2011年)は日本中の人達がこの「サバイバーズ・ギルト」を感じているのではないでしょうか。

被災地の人に、直接なにかをすることはできない私ですが、今回私が見てきたこと・感じてきたことをこうして伝えることで、何かが変わるかもしれない、と思いこの文章を書きました。
怖いことは、地震があったことが忘れられていくことです。四六時中被災地のことは考えられないし、考える必要もないけれど、ニュースなどで現状を知ること・ときどき思いを馳せることが、私達にできる「支援」の一つだと、私は思います。

  

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気仙沼の空に虹が出ていました。あんなに辛いことがあった街にも、虹は架かるのです。  

 

学級通信の役割~8年前の学級通信を読んで思ったこと~

学級通信は、その名の通り「学級の様子を伝える」ものです。わたしが学級通信を書くときに気をつけていたことがあります。それは、

「担任の想いを書く」

ということです。

以前、保護者にこう言われたことがあります。

「最近、先生が書く学級通信は、新聞みたいなんだよなあ。何が起きたかが知りたいんじゃなくて、先生が考えていることが知りたいんだよなあ…。」

その言葉を聞いて、私はハッとしました。

忙しさに追われて、当たり障りのない学級通信を書いていた。

忙しさを理由にして、生徒のことをよく見ていなかった、と気付いたのです。

ときには、旅行をして感じたことや、最近のニュースをみて思うこと・自分の家族の話を書いてみるのもいいと思います。

あなたの言葉で、あなたにしか書けない学級通信を書いてくださいね。

最後までお読みいただきありがとうございました。みなじょぼでした。

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